「縁」について

本日の坐禅会は私を含め、10名の方に参加いただきました。
坐禅の後の座談会では「縁」について皆さまの意見を求めました。

普段、何気なく使う「縁」という言葉。
人との出会いや物、行った土地などを「縁がある」といいますよね。
また今日の坐禅会に集まった皆さまとも「ご縁があった」なんていいます。
こういった時の「縁」は、「何か理由があって起きたこと」という意味を含みます。

一方で仏教で「縁」とは、ある出来事がおきる時の原因のことをいいます。
直接の原因を「因」といい、間接的な原因を「縁」といいます。
こちらの「縁」は、「たまたまその場所にあったためにある出来事につながった」というもの。
では、皆さんにとって「縁」というものは、必然のものなのか、偶然のものなのか、比重としてどちらが大きいでしょうか?

多くの方が、「必然」という答えでした。
たまたま出会ったという方とその後も「ご縁」が続くからと意見
前世から「ご縁」があるから今この場所にあるという意見
全く関係がないと思っていたことが、その後にすごく大切なことだったという意見
実にいろいろなご意見をいただきました。
一方で、すべては運命なんだから「縁」ではなく決まっていること、というご意見もありました。

私の意見としましては、「縁」というのは偶然のものと考えています。
先ほど述べた「たまたまその場所にあったためにある出来事につながった」というもの。
人はその偶然の「縁」を必然の「縁」に変える力を持っていると思います。
だから「縁」を必然と考える人は、「縁」を大切にし「縁」を必然に変える強さを持っている人なんです。
だから「ご縁がある」と言えるのではないでしょうか。

私の意見と同じ答えをされた宮崎さま。
来週の8月3日(土)、4日(日)に金倉寺お茶堂にて『antennas一本目:つながる「食」』というイベントをされます。
今回もそのイベントを紹介しながら、上手くまとめてくださいました(笑)
こちらでそのイベントを紹介するのも「ご縁」なんだと思います。
どうぞご興味のある方は下記リンクをご覧ください。
http://ameblo.jp/antennas402/entry-11566035245.html

また、来月の「金倉寺坐禅会」は8月10日午前10時~と8月25日午後7時~となっています。
こちらでも皆さまと新たなご縁ができますよう、お待ちしております。