新羅明神について04
| YUJ
前回、新羅神社の祭神が素戔嗚尊である理由について書きました。
しかし紀伊国の地方神であった素戔嗚尊がどうして出雲国の祖神となったのでしょうか。
※この記事はYUJ第16号(平成24年1月中頃発行予定)の草稿です。
http://www.kagawa-konzouji.or.jp/yuj/
前回、素戔嗚尊は新羅の国に立ち寄ったあと出雲国に着いた、という『日本書紀』の記事を紹介しました。
今回は出雲の歴史や風土、人々の生活を伝えた『出雲国風土記』に見える素戔嗚尊について、紹介したいと思います。
そもそも『出雲国風土記』には、素戔嗚尊について、「飯石郡須佐郷」の条に次のような記事があります。
神須佐能袁命(スサノヲノミコト)が「この国は小さいがいいところだ。だから私の名前は木や石にはつけまい。」とおっしゃい、ご自分の御魂をこの地に鎮められました。
そして、大須佐田、小須佐田を定められました。
以上が素戔嗚尊について触れた記事ですが、この記事より素戔嗚尊は別の地からこの地に移ってきた神であろうことが想像できます。
素戔嗚尊について、『出雲国風土記』の記載は以上ですが、その妻である奇稲田(クシナダ)姫に関して、同じく『出雲国風土記』の「飯石郡熊谷郷」の条に次のように記されています。
久志伊奈大美等与麻奴良比売命(クシイナタミトヨマヌラヒメノミコト)が、妊娠して出産しようとするときになって、出産する場所を求められました。
そして、熊谷の地にやって来て、「とてもくまぐましい(奥深い)谷だ。」とおっしゃいました。
次に、出雲国での素戔嗚尊といえば、八岐大蛇退治ですね。
『古事記』によりますと、八岐大蛇の姿とは「その目はホオズキのように赤く、1つの胴体に8つの頭と尾があり、身にはコケとヒノキ、スギが生え、その長さは8つの山、谷に渡り、その腹をみるといつも血でにじんでいる」という恐ろしいものです。
出雲国は早くから青銅器や鉄器の生産により栄えた国です。
つまり、「八岐大蛇の腹がいつも血でにじんでいる」とは、鉄による赤さびによって、土や川などが赤く染まっている、という鉄の存在を意味します。
また「素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する」ということは、素戔嗚尊による鉄の支配を意味します。
このことから素戔嗚尊の八岐大蛇退治とは、素戔嗚尊を氏神とする一族が、奇稲田姫を氏神とする一族と結びつき、飯石郡の鉄を支配した話ととらえられるのではないでしょうか。
鉄を支配する一族は、すなわち鉄を精錬する技術をもった一族であり、このような高い製錬技術は朝鮮半島から伝えられたといわれています。
つまり、飯石郡須佐郷に住む素戔嗚尊を氏神とする一族は、朝鮮半島からの渡来人ということではないでしょうか。
また『日本書紀』にある「素戔嗚尊は新羅の国に立ち寄ったあと出雲国に着いた」というのは、新羅より出雲国へ精錬技術を伝えた一族の話ということになります。
こうして、紀伊国須佐の一地方神であった素戔嗚尊は、新羅国を経て出雲国へと進出し、三貴神の1人として、また新羅の神々の代表となるのです。