乃木将軍ってどんな人?〜善通寺の乃木館探訪1〜

第十五回「乃木将軍ってどんな人?〜善通寺の乃木館探訪1〜」

乃木希典(のぎまれすけ)。明治時代の軍人で、善通寺市の旧陸軍第11師団の初代師団長。日露戦争を代表する功労者。そして、明治天皇を慕って殉死した人。
乃木将軍について、歴史の苦手な私が知っていたことはこれくらい。いくつかの小説にも登場しますが、名前は聞いたことあるけど…なんて人も多いかもしれませんね。

実は、金倉寺は乃木将軍が師団長時代に宿舎として利用した寺。当時の部屋は今も客殿として使われていて、愛用していた食器や碁、書物などが残っています。
明治天皇はもちろん、国民にもとても愛されていた乃木将軍。でも、時代によってはよく思わない人もいたようです。

乃木将軍って、どんな人だったんだろう?

乃木希典という1人の人間に興味を持ち、陸上自衛隊の善通寺駐屯地にある資料館「乃木館」へ。
そこで、彼の人柄を思わせるさまざまなエピソードを知ることになります。

案内してくれたのは、自衛隊の広報を担当している安田明美さん。かっこいい女性自衛官!
駐屯地内にあるため、警備された門口での記名が必要です(入館は無料)。すぐそばでは訓練の真っ最中。なんだか背筋が伸びるなぁ。

建物は明治31年に旧陸軍第11師団の司令部として建てられたもので、ルネッサンス様式のハイカラな洋館。結婚式の前撮りスポットとしても人気です。
1階は主に自衛隊の音楽隊が使用。2階の資料館へは、ステンドグラス越しの光に包まれた中央階段を上ります。



2階の一番奥にある部屋は、歴代の師団長が実際に執務を行なっていた場所。乃木将軍に関する史料がたくさん展示されています。
当初、師団長室ということで豪華な絨毯が敷かれていましたが、「軍隊には必要ないものだ」という乃木将軍の意向で撤去。質素な板張りでした。また、最初はもっと広かったようですが、「そこまでの広さは必要ない」と、半分ほどを応接室と廊下にしたそうです。
そういえば、金倉寺滞在中も寺の僧と同じ精進料理を希望したとか。贅沢を好まない人だったんですね。



でも、過剰な装飾をよしとしなかった彼が唯一望み、付け加えたものがあるんです。それは、天井の四隅にある菊の模様。菊といえば、天皇家の象徴です。
金倉寺に滞在中も、御所の方角に足を向けて寝なかった乃木将軍。死というものが身近だった戦争の時代。この菊は、明治天皇に忠誠を誓った一軍人の心の拠り所だったのかもしれません。



朝は4時半に起き、誰よりも早く司令部に来て、愛馬の世話や読書などして過ごす毎日。部下からは、もう少し遅く来て~なんて声もあったみたい(笑)確かに、上司より遅く出社するのははばかられますよね。

また、乃木将軍は明治時代末期に学習院院長を務めており、初等科に入学した明治天皇の孫(後の昭和天皇)にこんなことを伝えています。
馬車で通学するのをやめ、雨の日も歩いて来るように。穴があいた服はよくないが、継ぎはぎした服は恥ずかしいものではない、と。

真面目で、人格者。ちょっぴりカタブツでストイックすぎるかもしれないけれど(?)日本の武士道に通じるような人だったのではないでしょうか。

ただ、若いころはお酒を飲みすぎるのはしょっちゅうで、大事な結婚式に大遅刻!なんていい加減なところもあったそうで(笑)それが、ドイツ留学を機に別人のようになり、留学前の彼を知っている人たちは相当ざわついたらしいですよ。
本人は「感ずる処あり」としか言わなかったそうですが、案内人の安田さんは、西洋の軍隊の厳しい規律で叩き直されたのではないかと推察してくれました。

そんな乃木将軍ですが、実は、深~い人間愛や優しい一面を思わせるエピソードもあるんです。
それはまた次回に…。

乃木館(陸上自衛隊善通寺駐屯地内)
OPEN 9:00~12:00、13:00~16:00
CLOSE 水曜、年末年始
〒765-8502 香川県善通寺市南町2-1-1
Tel.0877-62-2311(内線2321)
※団体客は予約がベター