金堂(本堂)

金堂(本堂) 本尊は薬師如来で、向かって右に不動明王、左に阿弥陀如来の三尊を配しています。現在の金堂は湖東三山西明寺の本堂を模して設計され、昭和58年(1983)11月に落慶されました。

本尊薬師如来は智証大師作と伝えられ秘仏となっていますが、正月三箇日のみ御開帳しています。

不動明王も智証大師作と伝えられており、毎年1月1日、3日には不動明王を本尊として正月初護摩供、毎月28日の縁日護摩供がおこなわれています。

阿弥陀如来は慈覚大師作と伝えられ立像です。もとは常行三昧の本尊として用いられていました。現在は先祖供養などの本尊として、ご回向をおこなっています。

祖師堂(大師堂)

祖師堂(大師堂) 中央に智証大師さま、向かって右側に伝教大師さま、左側に天台大師さま、右奥に弘法大師さま、左奥に神変大菩薩さまと、四国霊場で唯一五祖師を安置する祖師堂です。現在の祖師堂はもと金堂であったものを移築したものです。

智証大師さまは天台寺門宗の祖師であり、金倉寺の地で誕生されました。智証大師さまにつきましては「智証大師」をご覧ください。

弘法大師さまは真言宗の祖師であり、その甥(姪の子)が智証大師さまです。弘法大師さまが金倉寺の地を訪れ、3歳であった智証大師さまを一目見て「文殊菩薩の応化なり」と驚き、「智慧童児」と名づけたと言われています。

伝教大師さまは日本天台宗の祖師であり、日本に天台の教えをもたらし、後に日本仏教の母山呼ばれた比叡山を開創されました。智証大師さまの師匠である修禅大師さまの師でもあります。

天台大師さまは天台宗の祖師であり、智者大師さまともいいます。隋の晋王も帰依した程の人物で、天台三大部に代表される多くの著作を残し、後の日本仏教にも多大なる影響を及ぼしました。

神変大菩薩さまは修験道の祖師であり、葛城山から大峯、熊野と山林修行を重ね、金峯山で蔵王権現を感得されたと伝えられています。

訶利帝堂

訶利帝堂 弘仁9年(818)智証大師さま5歳の時、訶利帝母さまが突然現れ智証大師さまを守護すると約束されました。この出来事から金倉寺の訶利帝母さまは「日本最初出現訶利帝母」と呼ばれ、子供と母親の守り神として信仰を集めています。

現在の訶利帝堂は、享保元年(1716)に高松藩主松平家の母君より子授と安産のお礼として寄進されたもの、正面の拝殿は明治14年(1881)、金倉寺中興第12世松田俊順師によって建立されたものです。訶利帝母さまにつきましては「おかるてんさん」をご覧ください。

観音堂

観音堂 本尊である十一面観音は智証大師作と伝えられており、秘仏となっています。また金倉寺で受け付けました納骨・位牌はこちらの観音堂にお祀りしています。毎年春と秋のお彼岸には、彼岸法要を執り行っています。

十一面観音は正面の顔の上に小さな顔が十、さらにその上に一の顔があります。十面の顔が菩薩の姿を、上の一面が仏の姿を顕しています。観世音菩薩はその種々なる姿を様々に現じて、人々に現世利益をもたらすと言われています。