四国遍路の歴史
金倉寺は四国霊場第76番札所として、毎年多くのお遍路さんにご参拝いただいていますが、四国遍路はどのようにして成立したのでしょうか。
弘仁6年(815)、42歳の厄年を迎えられた弘法大師さまが修行の地として四国霊場を開創し、その弘法大師さまを追い求めた右衛門三郎がお遍路さんの始めとされています。これは信仰上の伝説ではありますが、若き日の弘法大師さまが四国の地で山林を駆け巡り修行をされたことは、その著作である『三教指帰(さんごうしいき)』でもよく知られています。
このように当時四国遍路は僧侶の修行でありましたが、江戸時代になるとしだいに庶民の巡拝がみられるようになります。それを決定づけるのが、真念聖が刊行した『四国遍路道指南』です。これは最古の四国遍路案内記であり、お参りの仕方や道案内、さらに四国霊場札所番号と寺名が記されたものでした。
こうして庶民へと広がりをみせた四国遍路でしたが、明治維新後の神仏分離や廃仏毀釈といった逆風の時代へと入ります。そんな中、遍路道周辺の人々より「生き仏」と慕われたのが、中務茂平衛さんです。茂平衛さんは天台宗の僧侶でありましたが、寺に住さず遍路道を住処とし、自然を師匠として、四国遍路の中に生きました。
このように、四国遍路は弘法大師さまや特定の宗派に偏るものではなく、お遍路さんや周辺の方々によって支えられてきました。これからもみなさんのお力で保たれていただけるよう願っています。